自分への疑惑
さすがに夜は寒くなってきた。
我が家ではお得意の火鉢を出した。ちなみにガスストーブはまだである。ガス高いし・・・。
その火鉢であるが、昨夜のこと、夕食の時に妻が言った一言に愕然とした。

妻「何年か前に火鉢にあたっていてスエットパンツの裾を焦がした事があったね。」
私「え?そんなことあったっけ?」
妻「そのときパパ(私のこと)は見てるのに無関心というか、無反応でビックリした。ふつうパンツの裾が今焦げていて焦げた穴のフチにまだ火がついてるという状況だったらなんとか水かけるとかたたいて消そうとするとかするじゃない?それなのに座って見てるだけでまるで無反応。」
私「え?ホントに俺も見てた?全然覚えてないんだけど・・・。」
妻「見てたわよ。見てたのに何もしてくれないから自分で何とかして消したわよ。ホントはすごく冷たい人なんじゃないかって思った。」

スウェットパンツの裾を火鉢の炭で焦がすなんて、日常においてちょっとした事件だと思う。
それを見ていたのに全く覚えていないとはどういうことか?
普通、言われたらどんなに忘れていても「あ~、そういえばそんな事もあったかも・・・」程度には思い出すと思う。しかも何十年も前じゃなくてせいぜい5年くらい前の話らしい。

それにも増して驚いたのが一部始終を見ていた私が全く無反応で何もしなかったこと。
だいたい妻の衣服の一部が焦げて燻っていたら「うわ!火傷したら大変だ!」と思い、水をコップに汲んでかけるとか、台ふきなりタオルなり適当な布に水を含ませて燻っているところを摘んで火を消すとかすると思う。

まるで別人格の自分がそのときだけ現れていたみたいな、いやな雰囲気がした。
だれでも自分のことは無意識に信じていると思う。
つまり、今日やった仕事のこと、「あの仕事、本当にやったのかな?やった記憶は確かにあるけど本当にちゃんとやったんだろうか?」とか、「俺の好きなアンチョビ入りのピザだ!・・・まてよ、本当に俺はアンチョビ入りのピザが好きなんだろうか?」というように自分のことを疑う人はいないと思う。自分は今日あの仕事をやったし、アンチョビ入りのピザは私の大好物だと、誰もが無意識的に疑うことなく自分を信じている。

なのに、そのちょっとした事件を全く覚えていない事に加えてその事件に対する自分の行動(無視するという)が信じられないのだ。
しかも、それ以来妻の心には「本当は冷たい人」という意識が植え付けられてしまっている。

妻が夕食後、風呂に入っているときに私は自分の手の平をじっと見つめていた。
この手は本当に自分の手なんだろうか?

そのとき気づいた。あれ?運命線と太陽線がいつの間にかはっきり出ている。
暗い水の底に沈んでゆくような嫌な気分だったところに光が差したようなそんな複雑な気分で眠りについたのであった。
by jptrad | 2013-11-09 16:38
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